大学3年の時に、オーストラリアに留学していました。
その時にホームレス一歩手前になりかけて以来、貧困問題により敏感になりました、かなみです。
留学中の話は今となっては笑い話ですが、
日本に帰ってきた今でも、大学生であっても、年金・健康保険・電気代の支払いに追われています(笑)
本当に息をするだけでお金がかかりますよね。
働き続けないとこの世に存在すらできない。止まったら終わり。
そんなプレッシャーを感じながら大学に行き、バイトをしています(笑)
でも、オーストラリアでは今よりさらにスリリングで終わった…と思ったので、紹介します。
人はどうやってホームレスになるのか(私の事例)
大げさに書きましたが、私の場合は身の程をわきまえずに英語環境を追求し過ぎて路頭に迷いかけました。
未経験は相手にされない
オーストラリアに行った初めの頃は、意思疎通や簡単なことであればコミュニケーションをとれたのですが、
ネイティブであれば特に、相手が存分に配慮してくれないといけない状況でした。
なので、そんな英語があまりできない人(特にアジア圏などの人)は、
清掃員や飲食店のキッチン、ファストフード店、自国食のレストランなどで働き始めて、
英語力が向上してきたら、現地の環境へ、というのが一般的です。
また、文化としても、働き初めの際に、
日本のように未経験の人に教えるといったことはあまりせず、
どこも経験者を求めます。
しかも現地での同職種の経験者です。
私の場合は、いい感じのレストランでのウエイターの仕事を探していました。
経験は、日本で高級居酒屋で3年間働いた経験がありました。
でも、向こうではそれをそこまでまともに経験として扱ってはもらえなかったです。
そんなこともあるので、多くの人が、まずは日本人なら初めは日本食レストランで働いて、しばらくして現地の飲食店へ~といったルートを辿ります。
日本食レストランであれば、スタッフの多くが日本人で、そこまで英語力も求められません。
そして、英語もできないとなると、存在を無視されるような扱いを受けました。(被害妄想?(笑))
英語ができないだけで、もちろん考えることもできるし、言いたいこと・意見だって言えないけど持っています
なのに、知能が低い・意見が無い・存在していない
そんな風に認識されるように感じました。
本当に屈辱的だったのを覚えています。
それは留学から6~8か月ほどずっとありました。
搾取される
雇う側もよ~くわかっているので、英語が出来なくてもできる、気軽な飲食店のアルバイトの給料は本当に低く設定されています。
でも、皆そこでしか働くことが出来ない現実を受け入れて働いています。
それは日本人だけではなく多くの留学生、働きに来た外国人が直面します。
物価が高いので、安い時給で沢山働いて食つなぐといった人が多いです。
でも、そういった環境では、同じ国籍の人ばかりなので、沢山働いたからといって英語が格段に伸びるわけでもなく、簡単な業務が多い場合は何かスキルが上がるわけでもなく…長期間現状維持。といったことが起こります。
忙しい毎日の中でそんな負の連鎖から抜け出すことは結構大変です。
1週間後の家が無いのに所持金150ドルになる
それではなぜホームレスになりかけたのか?
私はオーストラリアに行ってすぐに、そんな負の連鎖があること、自分が陥りそうなことに気が付きました。
なので、最初が肝心!と思い、理想を高く持って仕事を探していました。
留学開始から半月くらいで仕事を探し出して予定では2週間ほどで仕事をゲットするはずだったのですが、見つかるはずもなく、気が付けば留学開始から2か月近く経っていました。
- ホームステイを最初の2か月しか取っていなかったこと、
- 予算カツカツで留学していたこと、
- 親をそこまで頼れなかったこと
からそんな事態になりました。ホームステイのお金は出発前に払っていたので、最初の2か月はそこまで出費がありませんでしたが、
ホームステイを出れば、家賃・食費などがかかり、一気に出費が増えることは明らかでした。
危機を脱した方法
家
まず、家は交通費のかからない範囲の安いところにしました。
探すのが結構大変だったのですが、女子だけのシェアハウスで、
安かったところの見学に8件ほど行って一つに決めました。
最初に敷金のようなものを払わないといけなくてそれが300ドルくらいだったのですが、クレジットカードのキャッシングで何とか捻出しました。
最初の家賃の支払いは1週間ほど遅れたのですが、何とか待ってもらい給料が入った日にそのまま支払い、解決しました。
得体のしれない外国人の私の支払いを信じて待ってくれた家のオーナーに本当に感謝しています。
それと、日本人ということでの信頼度があることを感じました。
その恩恵を受けられて、沢山徳を積んでくれた先人の人達にも感謝しています。
仕事
これは本当にラッキーだったのですが、家も仕事も無くて…という話をクラスメイト(トルコ人)に愚痴っていたら、「僕のレストランで働く?」という話になり、紹介してもらいました。
愚痴っている相手がシェフだったんです・・・!知らずに愚痴っていたら、私が行きたかったいい感じのレストランのシェフでした。
そんなミラクルな縁がありトルコレストランで働くことが出来ました。
ですが季節の関係であまり仕事がなく、結局現地のお客さんが多く、比較的、労働力の搾取をしていなさそうだった日本食レストランでも働き始め、掛け持ちをすることになりました。
その後も大変だった…。
仕事も家もゲットしたから安泰だったか…というとそうでもなく、
今度は大忙しで時間を搾取されるようになっていきました。
仕事を切られる恐怖であまり贅沢言えず、大量にシフトに入ったり、ドタキャンばかりされて朝突如仕事がなくなったり、仕事があってもお客さんの数によって何時間も休憩(お金出ない)にされたり…といった感じです。
丸一日拘束されていたのに働けてお金がもらえる時間は4時間なんて日もありました。言いたいことを言えず、強気になれなかったところは本当に反省です。
今回はここまでにします。体験談だけになってしまったので次はより一般的な貧困について考えたいと思います。
ホームレス・母子家庭・貧困・生活保護・・・そんな貧困問題は日本でも深刻な問題ですが、自分に何ができるか?小さなことでも自分から動いていける人間でありたいなと思います。
それでは!